「SNSで自分が何者かだと錯覚する」こんな勘違い当たり前

最近、幻冬舎社長の見城徹さんのインタビュー記事をWEBで通りすがりに読んで、通りすがりだから物凄くうろ覚えだし、どの記事かも覚えていないんだけど…

内容は見城さんがサイバーエージェントが出しているSNS、755を体験してみて、そこでユーザーと真剣に向き合ってみたら、自分を何者かであると勘違いした承認欲求がひどいくらい表に出た人がいて、そのユーザーに向き合おうとしたけど、心を寄り添わすことができなかった、というものだったと思う。

見城さんをサイバーエージェント社長の藤田さんとの共著「憂鬱でなければ仕事じゃない」を読んで、すごく素直で熱い方だなぁと何となく思っていてこの記事を読んで、改めてそう思った。僕が最近好きな鈴木涼美さんの本も幻冬舎から出てるし、何かと僕が興味を持つ本は幻冬舎が多く、幻冬舎は割とマニアックなんだけど大衆興味持つよね?な作品が多い印象。そういうマニアックな作品は常にSNSなど細かい情報を追ってたり、どういう切り口で展開させるか考えるセンスがないと光らないと思うし、現に光っているから幻冬舎は凄いなぁ、好きだなぁと思っていた。

少し話しがずれた。

見城さんは755をやってみて、やじうまユーザー、つまりアプリ上で絡んでくる人に対して思ったことを述べていた。僕もたくさん絡むからよくわかる。『自分が話しかけたら話返してくれた』そうやって承認欲求を満たされてきた。この点を注意した方が良いと見城さんは優しく名もないユーザーを諭した。

でも755をはじめ、TwitterFacebookはてなブログ、noteなどなどSNSは、アクティブにユーザーに利用してもらうためにホワイトボードをいっぱいにする会議を何回も経て、生み出された成功したSNS型のコンテンツなのだと思う。それらのSNSつくる会議の重要な部分は、「どうユーザーの承認欲求を刺激するか」なのだと思うし、基本的に新しいアプリが出た時に僕が触って一番最初に注目する視点でもあって勝手にそう思っているだけではあるけど、まずアプリは何度も利用してもらうために、ユーザーの承認欲求の刺激の仕方を考え、そこを刺激すれはユーザーは中毒的に利用してくれる、とそういうミクロのゴールイメージがあるのだと思う。

◼️承認欲求を満たすための基本的な策(他にあったら高圧的にでも教えてほしい)
①いいね!やお気に入りとかのソーシャルボタンを設置
→ユーザーが見てくれたんだ!しかも評価してくれたんだ!と勘違いを助長

②アナリティクス機能
→あー今日はこのくらいの反応か!こうやったら数字はどのくらい伸びるかな?最低でも◯◯(目標数字)までは伸ばしたい、という自分のアクションに対するフィードバックと目標設定を生む

③有名人アカウントを存在させそこにコメントなどアクションできるようにする
→有名人と対等に存在するところより、あたかも自分がその有名人のレベルにいるように思ってしまう。そして勘違いと言われる承認欲求の塊のようなひどい投稿をする



何者かであると勘違いしたユーザーが登場するのは、アプリとして成功していることの証で、新しいアプリが出たら、そのアプリ上をサーフィンして、そういう勘違いしたユーザーを探す、そしてその絡み方をみて、別のアプリと比較し差別点を探すけど基本いつもシンプル。高圧的に絡む…見城さんが一番指摘していた行動だ。見て、見て、というより、俺が見てやってるんだ…そんな目線のコメント。

こういうユーザーに生で会って話してみたい、僕も一緒の部類ですし。勘違いというより、勘違いなんだけど、SNSの狙い通りにのせられているだけ。そのSNSを作っている主役は、僕は、有名人でなく、そんな勘違いしたユーザーなのだと思う。彼らがいなくなったら、本当につまらないし、一気にそのSNSのユーザーは減ると思うし。有名人などのインフルエンサーは「勘違いを浄化しろ」じゃなくて、そんなユーザーの勘違い絡みをどう合気道的に処理するか、そこが問われる。

この全てがメディアのためになのだけどね。