『12000』の数字の規模から生まれるネタ性と勝手な解釈、また「気持ち悪さ」からわかる変態性

「やばいぞ」という言葉が部屋に鳴り響いた。聴くと、12000人を買春した疑いで神奈川の元校長が逮捕されたと。この桁違いの数字に「嘘だろ」となる。そもそも「元校長」という部分に目がいかなくなるくらいひどい事件だ。1割が未成年の被害者、その方々が今どんな苦しい思いでいるか、考えようとしても想像できないくらいで、ただのネタとして何の関係もない多くの人はこの事件に触れるが、買春という言葉を聴いただけで、変態に襲われた記憶がよみがえる、とかそういう方もいると思うので、ネタにするような発言は極力控えたい、がこうしてネットに文字を流している、つらい思いを与えてしまっていたら申し訳ない。

なんというか「12000」と聴くと反射的に、「町」と思ってしまう。つまり、人口規模、のイメージが過ぎり、そこから未成年とか若者とか具体的な事件のバイアスがかかってきながら、年間の国内の出生数が100万程度であり、半数が女性と単純に考えて50万、つまり、2.4%が被害に合うという、そんなおかしな計算が頭に過ぎり、事件の大きさをさらに大きくするようにオートマチックに想像してしまう。

「12000」という文字をSNSで検索すると、きっとこの事件に関する個人の気持ちが言葉として多く出てくるのだろうと、検索するとやはり出てくるが、12000という数字から「変態!」など元校長を叩くワードは多いものの、「すごい」「神」など讃えるものも多く上がる。


数字の規模がある一定以上まで行くと、ネタ性が増して、被害にあった女性を無視して、まるでAVの作品に出てくる男性の武勇伝を聞かされるような、そんなジャンルと並列して並べられる、のだろうか。

またこの事件に関して、自分の中で不思議に思ったのは、レイプのように、女性に対して何らかの圧力をかけて襲い掛かるイメージが勝手にくっ付いてくる。買春というのは、自分の中にある定義では、主に男女がお金を払うなどある条件のもとで性行為を行うこと、とあって、そこには所謂「合意の上で」がつく。その「合意の上で」がイリーガルで倫理観のタガが外れていること自体は普通の社会で生きていると理解できると思うが、多分、性に関する問題でも何でも、万引きを繰り返すような感覚で、いや多分それ以上に、「罪を犯すのが普通、というか別におかしいことしてるか?合意の上だし、金払ってるんだぞ」と人の脳内にある法律がどんどんイリーガルゾーンに食い込んできて、つまり、人の中にある、◯◯をしたらNGというような何となくの感覚のタガが外れて、どんどん危険な方向に進んでいくのだろう、か。

話は逸れたが、この事件について、イリーガルであることは勿論なのだが、レイプとは違って、ある種、合意の上で行うことで、一方的で残忍に、女性を脅しているわけでは、多分ないんだろうが、勝手に頭の中でレイプのようなそんな残忍なイメージを持ってしまい、数字による勝手な解釈が進んだと自分に対して思った。多分、12000人に達するまで事件として顕在化しなかったわけで、多分レイプ紛いではなく、女性もお金欲しさに、あるいは生きるために売られたか、その元校長の交渉を直接もしくは間接的に受け入れていたのだろう。

ネタ化するような事件のトピックに踊らされると勝手な解釈が入ってしまうことに気が付いて、気をつけないといけないと思った。

そもそも何となく感じるこの事件の「気持ち悪さ」は12000人という件数の問題か、買春自体の問題か、それとも他か、である。多分、風俗を覗いたことがない人にとっては、そもそもの買春、つまり知らない人とヤるという行動自体がNGだと思い、この事件のどこに気持ち悪さを感じるかで、その人の性に関する変態的なレベルもわかるな、とか無駄に思ってしまった自分がそもそも気持ちが悪いな。