住職が亡くなったお寺と緑地の減少

この前の日曜日に御墓参りに行った。そして、寺に行ったら、驚いた。寺にあった立派な木が多く伐採されているではないか。

その寺の住職が数ヶ月前に突然亡くなった。その住職には数々の局面で小さい頃から最近までお世話になっていて、亡くなった話を母から聞いてショックを受けた。まだ60代だったと思う。

その住職が亡くなってから初めて行った寺はかなり変わってしまった。木が切られる、というのは何とも寂しい。相模縦貫道を通すくらい交通が未熟だった、経済的な発展がそれまで大きくなかったエリアなのだが(ある程度大きい会社は数社あるけど)、要は田舎なのだが、まとまった緑地というのは、そんなになく、少し前まであっても、相模縦貫道の発展によって、よりベッドタウン化して住宅地に変わった。そんななかで、伝統的な緑地ともいえる寺の木が伐採されるのは、なんというか「それでいいのか」と思ってしまった。

御墓について綺麗を維持するのは難しい。相当な手間がかかる。立派な落葉樹なんかがあると落ち葉が御墓という凹凸の連続ゾーンに満遍なく落ちて、それが雨に濡れて、墓石にこびり付く。それを住職が掃除したりもしていて、その労力を失ったお寺はもう木を失うしかない、と、そういう選択をしたのだろう。

木というのは寺の雰囲気にとっても凄く重要だと思っていて、緑ある空間は、墓を参る人にとって、それだけで珍しく、本能的に帰るべき場所に帰ってきた感があり、意識は少なからず変わる。御墓参りモードになるというか、そんな感じだ。

切ってしまったからもう遅いけど、何とかならなかったのだろうか。寺は地域住民の財産でもあると思い、寺の緑を守るために住民が順番に掃除をするなどそういうかたちで維持管理できなかったのだろうか。寺は緑地としての機能も果たしてほしい。それは古い考えなのだろうか。