70歳で幻想即興曲を弾く女性に素晴らしいと思った話とピアノの思い出

実家に帰った時、妹と日頃の話をするのが楽しい。ピアノの先生をしている妹。生徒との話とか発表会の話は本当に面白くて、いつも帰ると、「あの生徒さん、いまどう?上手くなった?」とか聴いたり、家でも教えてて、帰ると生徒がたまたまレッスン中で、僕も弾いてるのを見たりして、そういう時間が楽しい。
生徒からの年賀状も謎の絵が入っていたり、レイアウトが妙にアンバランスで面白く、また小学生の生徒のは、涙が出るほど気持ちが込められてて、妹の仕事が羨ましくなるほど。

さっき、ご飯を一緒に食べながら最近のピアノの発表会の話になって、ある生徒の話になった。
その生徒は70歳くらいで、妹の生徒でないのだが、妹が担当する発表会の出演者。

その方は、発表会で演奏する直前まで、紙の鍵盤を出して、これから発表会で弾く、ショパン幻想即興曲の指を確認していた。妹はその様子を見て、「何番にお弾きになるんですか?」と声をかけ、その方から「◯番です。あなたは何番ですか?」と返ってきて、「講師です」と答えると、普通にショパンの話を2人でしたようで、何かその様子を想像しただけで、いいなぁ、と微笑ましくなった。

ショパン幻想即興曲は、ソラソファソドミレドレドシドミソで、6対8(左で6つの音を弾いてる間に右で8つの音を弾くという難しい音符の入れ方)で難しい曲といえる。それを失礼だが、高齢で弾けるのは、凄いなぁとただ思うんだが、その年になっても音楽に取り組む姿勢が素敵と思って、音楽って、やっぱり良いなぁとも思って、改めて自分も音楽したいと思った。

妹は、ピアノの先生になってから、ショパンエチュードを人前で弾くのは、気がひけるという。ショパンエチュードのようにみんなが知ってる曲を弾く時は、聴いてる人も知ってて頭の中である程度できあがってることもあって、ミスタッチをしないよう、表現をきちんとつけられるよう念入りに準備するようで、僕は、本当にミーハーでピアノを初めた小学2年の頃にいきなり、「モーツアルトトルコ行進曲やりたい」と言ったり、5年の頃に「ショパン軍隊ポロネーズやりたい」と言ったり、今のプロの妹とは真逆で、妹もそんな僕の小さい頃のような無鉄砲に名曲あげてくる生徒が今、羨ましいと語っていた。そういうもんなんだ、と思った。

妹を一時期、小学6年の頃、ライバル視してて、一緒の大会に出る事になった。いや、元々妹だけが出る予定で、妹にその話が来てから、先生に「僕も出たい」と伝えて、予選に臨んだ。目標があると頑張れる。僕は土曜日の先生が教える最後の順番の生徒だった。普通40分のレッスンなんだけど、20分くらい世間話して、レッスン時間を減らすために時間を稼いだんだけど、それから80分くらい怒られながらレッスンしてくださって(本当に辛かった…厳しかった、表現の指摘を受けても指摘通りに指の技術的にできなくて、くそー、どうやったらショートカットして近道的に弾けるようになるんだ、と狡いこと考えていても無駄で、ハノン弾いたり指の運動したりした)、その様子を父が見てて、父はピアノは全く弾けないんだが、超がつくほどの音楽オタクで家には大量のレコードがあって、ピアノで弾きたい曲があってそれを父に伝えると「これ、ホロビッツのだから」とか言ってすぐCDを出してくれてありがたかったのだが、レッスン終わりに車で家に送ってもらっている時に父から駄目出し受けることに毎回なって…ピアノ弾けないやつにこの気持ちなんかわからねーよ、と思って複雑な気持ちになっていたのは懐かしい。
そんな感じで練習してて、妹に勝つ目標だけでやっていて、いざ予選になって、妹と僕は一歳違いでエントリーしてるゾーンは違ったかどうかは覚えてないのだが、妹は予選で落ち、僕だけ本戦に行くことになった。目標を達成し気持ちが抜けたというのは言い訳で、本戦では周りが本当に上手すぎて、歯が立たず賞はとれなかったのだけど、妹はその敗戦が屈辱的なできごとでそれから必死に練習し、音大に行き、今だ。負けから始まった妹の快進撃は本当に素敵で、ピアノの音色も綺麗で尊敬している。僕は色々負けっぱなしだけど、そこから輝ける何かに繋げないと、と妹と話すたびに思う。