Twitter、ブログなどのテキストメディアの良さと不思議さ

つんくさんが声帯を摘出し声を出し話せなくなったというWEB記事をスマホで昼間に読んで、さっきテレビで入学式の様子をみて、本当に話せないことがわかって、でもTwitterを覗いたらきちんと言葉が流れてて不思議な感覚になった。

「ズルい女」は初めてカラオケで歌った歌で、つんくさんの声が好きだった。学生の頃に変なエロ系の建物に入った時に、そこはガラス張りの特殊な構造なのだが、その店がシャ乱Qのある曲のPVで使われていると知って、なぞにまたシャ乱Qを好きになって、帰りに友達とカラオケに行ってシャ乱Qを歌った。
つんくさんはハモネプの審査員もしていて、友人グループがハモネプに出場した時、つんくさんからどんなコメントをもらうのか楽しみにしていた。何かとつんくさんの声に、センスに刺激をもらっていて、今回の事は残念であった。

つんくさんのTwitterを覗いた時に、前のように言葉が並んでて、声は失ったけど言葉は失っていないと当たり前だけど思った。もう生歌は聴けないけど、シャ乱Qなどでのアルバムは残っているし、何よりつんくさんのセンスは残っている。そういう人のセンスに簡単に触れられるTwitterやブログは、ありがたい存在だと改めて思った。テキストなんだけど、つんくさんが話せた時のイメージは残ってて、テキストを読む度に実像も浮かんでそこでは話せている。冒頭の不思議な感覚というのは、テキストで読んでいるのに、つんくさんが話しているように思えて、それが不思議だと思ったし、僕の中ではつんくさんはまだ話せてると、そう思っています。